【父のシニアライフ】60代半ばで料理を始め、70代にはキーボードで文字打ちをマスターした【亡き父の思い出】

親の老いていく姿は、
ああ、学ぶことが多かった、と
今さらながら思い出します。

 

反面教師型の父だと思っていましたが
家族だからこそ
生き様のすべて、

つまりひと様には見せない裏の部分、
情けないところ
どうしようもないところも
すべて学ばせてもらったと思います。

ただ今日は、
あっぱれだった父のこと、
ちょっと自慢させてくださいね。

 

父は、
60代で家事を始め、

当時主流だったワープロは
ブラインドタッチを目指し、

父の母、身障者の妹、妻の3人を
すべて見送ってから旅立ちました。

 

60代半ばから、父が家事を始めた理由

昭和ひとけた生まれの父は、
60代半ばから家事を始め、

長い時間をかけてではありましたが
料理も洗濯も掃除も買い物も
全部マスターしました。

理由は単純。
自分がするしかなかったからです。

 

父は、
認知症になってしまった妻と

生まれつき身障者の妹、
年老いていく中で、車椅子から
寝たきりとなる自分の母、

この三人の世話を
自分がしなくてはならないと
覚悟したからです。

 

毎朝、四時前には起きて
味噌汁をつくることから始まる、
主夫生活を、
父は90過ぎで亡くなるまで続けました。

80代になると

80も半ばを過ぎると
生きることに必要な
最低限の事をするだけで
一日が過ぎていく毎日でした。

 

父は大病を繰り返しましたので
自身も身障者になりましたが
それでも、
自分の母と、妻、妹の世話を
最後までし、
三人を見送ってから
自分が旅立ちました。

 

もちろん、実際には父一人ではなく
多くの人の協力があったからこそ
乗り越えた「老い」です。

ただ父は、坊ちゃん育ちで、
もともと、リンゴ一つ
むいたことがなかった人です。

 

それが
「家族のことは自分の責任」として
ここまで頑張れるのかという生き方を
示してくれました。

 

ワープロはブラインドタッチを目指していた

そんな父は、家事を始めた同時期に
ワープロも始めました。

当時は、ワープロが
まだまだ活躍している時代で

ワープロさえあれば
別にプリンタ―を用意しなくても
年賀状や、書類が作れたのです。

 

ワープロのキーボードに
両手の指をおいたまま

画面をじっとにらんで
静止しているいるので

 

「何してるの」
と聞くと

ブラインドタッチの
タイピング

練習しているとのこと。

 

頭の中でキーの位置を思い出し、
思い出したらキーを打つという
練習をしていたのです。

 

ですから、ほぼ止まったまま。
70を超えていい根性ですよね。

アコーディオンが自慢だった父

若い頃、
趣味のアコーディオン演奏で
プロにスカウトされたことが
自慢の父でした。

両手で楽器を弾いていた感覚
残っていたのでしょう。

結局、ブラインドタッチには
至りませんでしたが

ちょっとした書類なら
十分作れるようになりました。

 

アコーディオンがピンとこない世代の方に。

 

老いる姿を学べた幸せ

今、自分が、

父や母達の老いの姿と
重なるようになりました。

 

どう衰えていくのか、
どんな現実が待っているのか、
わかります。

 

老いる姿を見てきたことを
心からありがたく思います。

 

本当はダメダメの父でしたが
父の日を前に敬意をこめて
今日は、いいところだけ
思い出しています。

 

毎年、父の日。
贈る相手がいなくなると
寂しいものです。

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